さて皆さん、「本格妖怪アニメ」がとうとう始まりましたよ。
京子でかくなったなぁ。メガばあも随分丸くなったもんだ。眼鏡かけてないけど、多分コンタクト型が開発されたんだろう。呪文一発でイリーガルを消し飛ばすほど強くなった様で。でも寝る時にはきちんと外すように。
それにしても「電脳コイル」は何時の間に第二シーズンに切り替わって民放に移ったんですか。タイトルまで変わってるし(ぉ)。
という訳で、アニメ版「もっけ」始まってしまいましたよ。
あーーーー、凄いわコレ、、、。
今回アニメ化にあたってわざわざオリジナル脚本起こしてるんだけど、何ともまぁ、シナリオも、キャラの性格も、演出面も、尽くがミスリードの嵐。そりゃ原作者も諦め入るって物で。
だからまぁ原作を何も知らないで見れば、ただの地味~な萌えアニメ+妖怪モノかとは思う。一話だからか絵のクオリティはまだ普通なので、アニメ→原作で追える人間に取っては何の問題もない。むしろ羨ましい(ぉ)。
それにしたって、そんなに原作の再現が難しい作品だっただろうか。むしろ初見は「その内アニメにされそう(して欲しくないなぁ)」というくらい。萌え方面に振られるのは覚悟していたけれど、それ以前に原作の作品性が全く反映されていない。例の「ぼくらの」ですらまだ第一話は比較的見られる出来だったというに、こちとら第一話から既にアウトという原作派は多い筈、というか多分全員(冗談抜きに)。原作の何処をどう縦読みしたらこういう改変になりますか?ってなレベル。原作者が監修にあたって、「(知識の)間違い」や「(整合性の)歪み」等という言い回しを平然と使っている時点でもう内部的にも相当外れているのは疑いない。
まぁ強いて言えば、完全にオリジナルに作り直す事で製作上のクオリティコントロールを図ったパターン、とは言えるのかな。「姉妹萌え」と「妖怪アクション?の過剰演出」という、ぶっちゃけ作り易い今時のアニメフォーマット。この点、半端に原作に沿って半端に書き換えた自己満足的な「ぼくらの」の森田よりは、余程プロっぽい仕事をしてるのかもね。ただ余りにも「安易」である点は否めませんが。結果出てきたそれは、話としては勿論、キャラ的にも実にチープで見所が無い。いわゆる「劣化蟲師」のレッテルを貼られて空気アニメと化す可能性も。竜の巣の所為ではないけど何だかジブリっぽい「劣化トトロ」とも言われてるなぁ(笑)。
まぁ幸いにも基本は一話完結式(当然流れはあるけどね)なので、ポッと出の良い回が出てくる可能性に賭けてみるくらいかね、視聴の仕方としては。しかしこれが週末休み明け直前の夜の放映というのは士気に影響しそうな(笑)。駄目と分かりつつも寝る前に見ちゃいそうで。
爺さんの声は思ってたよりも違和感無くはまっていたので、それだけに脚本の方でしっかり決めて欲しいんだけれども。逆に、瑞生=CV:水樹のシャレは本当にシャレにしかなってなかったから何とかして欲しい所。ま、これもまずは脚本の方だけど。何だあの脳味噌お花畑は、と。
さて、一応原作について。
先程「蟲師」の名を出してしまったけど、同じくアフタヌーンの伝奇物というだけで趣としては全く別の物。こちらは現代妖怪伝とでもいった、今の世に尚残る妖怪・物の怪の類との付き合い方をテーマとした作品。妖怪というのは元来、習慣や風習などから成る生活に根付いた文化的な存在であるという点をよくよく思い起こさせてくれる。正にこういった方面に(漠然とではあるけど)興味の出ていた自分にはクリティカルヒット。加えてキャラクターに妙な味があるので一気にハマってしまった。
まぁ都合上、話が暗くなる事も多いし、言ってみれば教訓めいた、説教臭い一面もあるけどね。特に爺さん。むしろあの突け放し気味の教育っぷりが堪らんのですが。その教育を底に置きながらも、本人なりの行動や無茶で話が展開される辺りにそのキャラクター性が活きてくるというもので。結構良くまとまってると思うんだけどねぇ。(夕方18時向けの分かり易い改変ってのならまだ分かるけどさぁ、、うーん)
又、実在というか実際に語り継がれている妖怪話を作者なりの解釈で描いた作品なので、それ故に話のバックボーンが非常にしっかりしている。これ故の安心感も大きい。
最近、創作物の架空の世界観に心惹かれる事が少なくなってきたどころか、むしろ興醒めする事が多くなってしまったのも、そういう下地の弱さの問題なのかと思う。世界観というのは字面の上の設定だけで成り立つような物ではないと。創作って難しいのだなぁと改めて思ってしまいましたよ。