「もうどうにでもなーれ」
(AA略)
なんかいいよね、コレ(ぉ)。
まぁ2chAAは好き嫌い激しいので今後気変りした時の為に略しておきますが(笑)。
という訳でついでに、元はと言えばコイツでAAを知った、アニメ版「もっけ」。
まぁ「随分、基準が下がったな」と某氏にも突かれて苦笑するくらい、既に諦めもついているんだけどね。
それに今回(ヤマウバ)は単体として見れば無難にまとまっていたとは思う。元々原作でも蘊蓄が少ない回というのも幸いしてか別段難点も目に付かず。初見さんなら十分であろう、それこそ原作派の苦言と思われてもしまうのだけれど、、。
しかし、(百歩譲って軟弱萌え化は認めるとして)、シリーズ構成までああも出鱈目な理由がサッパリ分からない。
この作品は妖怪話をベースに、キャラクターの成長話も一つの柱として展開しているのであって、特に今回の話(ヤマウバ/修学旅行)はそういった積み重ねあってこそのエピソード。代表的な所でウシロガミ(/初の遠出)やツエザクラ(/自立とカメラ繋がり)、これらを通して徐々に独り立ちして行っているからこそ爺さんの出番も減ってきているのだというのに。ましてや、まだまだキャラの立ってない序盤にあの話を持ってきた所で、果たして奇妙な妖怪婆さん話以上の意味が持たせられるのかどうか。
小難しい蘊蓄話は分かり易さ重視で削除、一方で元々構成の取れていたキャラクター成長課程もエピソードシャッフルでご破算、とここまで来ると何がやりたいのか正直分かりませんわ。
まぁ作り手もキャリアを睨んで単なる作業以上の事をやりたいという話は解りもするけどね。ただこっちも客なので、いつまでも頓珍漢な店員の成長を見守ってられるほどボランティア精神に長けては居りませんよ?という感じですかね。このアニメに限らず。
よく「気に入らなければ見るな」という言葉を目にするけど、駄目な物は駄目と言ってやらなきゃいつまで経ってもお互い駄目なままだと思うんですがね。悪循環は目の敵にするタイプなものでして、はい。