どう「やり込む」のか

 さて、先日の「ロストプラネット」の話ですが。正確な趣旨としては、あんな物はただの駄ゲーだと思って貰えば良くて、この悪例をダシに日頃思う所が出せればいいなという話。まぁいつもそのつもりではあるんだけどね。つもり。

 まず率直に、やっていて「全然面白くない」。普通に進める程度ではグダグダで終わってしまうのがオチ。
 体力が自動回復型で、回復前に連撃を喰らう事さえ避ければ絶対に死ぬ事はなく(NORMAL程度ではボスでも滅多にこうはならない)、むしろ基本的には回復や攻撃に使うゲージを蓄えながら進んでいく持久戦スタイル。この時点で「やり直す」という学習ループが望めないのにも関わらず、ゲームそのものは「配置を覚えてナンボ」の型。これも敵の配置のみならず、攻撃面でも使用火器の持ち運びが2つまでなので有効的に立ち回るには事前知識ありき。要するに1stプレイがまるで楽しめない。
 まぁそれで納得する筈もなく足掻いてみようと、ミッション序盤ならRestartで反芻してみたりもする訳だけれど、そうして頑張ってみたところで「やっぱり面白くはならない」。
 グダグダにならないようにするにはやられないようにする訳で、やられる前に殺す、これは至極当たり前の事だけれど、実情を見ると「それだけ」で終わってしまっている。本来はその基本原則の上で「どう捌くか」までなければいけないのにそれが無い。
 偏にまずキャラ単体の動きがあまりにもお粗末。個別に狙い殺していくと実にあっさりと片付いてしまう。実例で言えば、高台の狙撃兵に近寄りつつマシンガンでヘッドショット、という行為が実にあっさりこなせる程のレベル(あらゆる意味でアホな例なんですよ、コレ)。だから「知れば以上」のゲームでしかない。広場で待ちかまえる敵の集団を全て狙撃だけで片付けるという場面すらあった(イジメ格好悪い、とか言えば虚しさも伝わるかと)。ココから先はもう手早さの勝負でしかない。実際、次々と敵を仕留めつつモリモリ突き進んでいる格好良さそうなプレイ動画の実態なんてのはこんなもの。
 そうではなくて、「どこそこに嫌な敵が居る」という知識があって、その上で「どうやって乗り越えるか」を楽しむ所までやってこそゲームってものではないですかね。状況を把握して突破を試みる、そこでまた別の障害に悩む、この試行錯誤の段階がすっぽ抜けてしまっている。
 これが並のFPSなら、狙撃銃で一発けしかけた瞬間に周囲が反応して反撃してきたり、蜘蛛の子を散らす様に逃げていったりというのは当たり前。そこで速攻勝負になったり、普通に反撃の合間を縫った銃撃戦になったり、また別の道を探ってみたり、ケースバイケースに対応していって始めて能動的なゲーム性というものが生まれ得る。
 又、例えばあの惰性で続けただけの「HalfLife2」も(あれは基盤は古典的FPSなので)、場面場面で手に入る武器の弾数、体力回復剤の配分など、攻め手側の限界点の設定というものが為されており、そこで、スナイパーライフルで何人落とすとか、ロケットランチャーを何処にブチ込むかとか、マシンガンも便利に使いすぎず集団戦に備えて温存しておくだとか、そういったプレイの組み立てがある程度は要求されていた。勿論このスタイルが全てとも言わないけれど、こういう風に最低限の一線を引くデザインというものは存在している。そしてそこから更に、一発も攻撃を喰らわないだとか最低限の射撃で突破するだとか超高速プレイだとかの為により深く突き詰めて、「ここまでやるか」と思わせるのが上級者のプレイというもの。これも土壌あってこそ。
 こういったレベル(マップ)デザイン、システムデザインという物を完全に蔑ろにした状態で、ただ「敵を手早く倒していく」という最適化の一面のみで作られているというのがこのロスプラの実情。その程度のデザインで閉じているから一発芸的な面白味のないゲームになる。この作りが、「やり込み」という最適化構造から逆算されたゲームデザインの成れの果て、だと言えてしまうのではないかと。そこには「病巣」という言葉を意識せずには居られない。

 しかも、これが今回ハズレを引いたというだけなら愚痴って売り飛ばせば済む訳ですがね、正直なところ、こういうデザイン、「またか」と思った訳ですよ。やり込む以外に楽しみ方の無いゲーム、そのやり込み自体およそ面白くもないゲーム。こんなゲームばかり見せ付けられては堪らない。
 いや、くれぐれも勘違いして欲しくないのが、自分は「やり込み」の概念を批判したいのではないという事。
 詰めれば詰めるほど面白くなるというのはむしろゲームに取っては当たり前であるべき話で、それ以上に「どう面白くなるか」まで設計出来てこその面白さというものではないかと。そこをきちんと考えて選別していきたい。
 そもそも「やり込む」というのはどういう事なのか。楽しむ気になれば楽しめるゲーム、巧くなるほど楽しめるゲーム、どちらも「やり込む」という大枠の定義では同じ物になるけれど、その実態は大きく異なる。
 前者なんてぶっちゃけ「コンボイの謎」でも満たせるのですよ。