超(ロボット)生命体

 さて、実写TF2、前回は完全にファン視点のみで語らせて貰ったけど、実際一般層としてはどうなんだろう、というのは気になる点ではあるんだよね。
 ただそれで、視聴後の興奮も醒めぬまま酒の入った脳味噌に、「やっぱ金属は生命には向かないと思うんだよね」とか真面目な話を振られても先生対応不能ですよ、ってなもんですが(笑)。
 そこは正直触れてもしょうがないというか、実際自分としても普通に「肉体の構成要素が金属質」の生命体の物語として受け取れば済むとしか思っていなかったので、改めて大前提に突っ込まれるとどうしたものかと悩んでしまったりも。第一、そこでどう頑張ったところで、「変形ロボット玩具の物語」が出発点である以上、その前提の危うさというのはぶっちゃけ「泣けるエロゲー」のそれと同じで、あまり口を大にして屁理屈を並べるものでもないのだけれどもね。

 ただ一方で、あまりに無闇な突っ込みをされるとそれは辛いのも事実。個人的に悩み所と思っているのが「擬態になってない」とか「擬態する意味がない」系の話。確かに変形玩具のイメージ、そしてその実際の販売戦略として「Robots in Disguise」という「擬態」のイメージが先行しているのは事実だけれども、普通にアニメ畑で育った我々としては彼等の変形の大きな理由の一つは「環境適応」みたいなもの。元々彼等は「姿形を変えられる」文字通りのTransformerという種族の定義が先にあって、その彼等が地球に不時着して適したデータを拾ったらそれが車だったり飛行機だったりした訳で。それは移動の為の変形であり、攻撃の為の変形でもある。だから前日譚の地球外惑星上でも変形するし、変形しないひねくれ者もいると。(ここで個人的にティンブリーミーのギアール変態(デイビット・ブリン/知性化シリーズ)の話でも出そうかと思ったけど適応能力のレベルが違いすぎたのでやめ(笑)。彼等は個人の能力に即した変化形態しか取らないようだし。)
 だから、そもそも「擬態」という観点で見られること自体、言ってみれば見当違いも甚だしいというか、視野を狭めて話されているようなものでいつも残念に思う。まぁ映像のギミック上、擬態のビックリ要素が先んじてしまった点は否定しませんが、だからあくまで2は擬態らしい擬態にはなってないという訳で。まぁ突っ込む前に一寸考えてみてもいいじゃないですか、とかそんな話。

 冒頭の生命の件も、そこでは「有機体の生命サイクル」(「動的平衡」辺りがキーワード)が話のキモだったんだけども、別にそのメカニズムが金属生命体にも当てはまってもいいとは思うんだよね。(自分は物理・科学は大学1年の基礎教養までなのでマトモな理屈付けが出来ないのが寂しいけど)、その構成要素が有機物であるか金属的なもの(無機物と言い切っていいのかは分からない)であるかの違いで、その内部構造的にも大きく違うとは思うけれど、そこにまた違った形のサイクルがあっても面白いと思う。ついでに言うと、ビーストウォーズ系の最後では有機生命体の情報を取り込んで更に進化するという話もあったりする。まぁ現実論的には辛いどころか有り得ない級の話なんだろうけど、それこそ「アインシュタインは間違っている」という話で(笑)。あまり荒唐無稽な論理の飛躍も不味いだろうけど、何処かで前提の枠を広げてみるのもアリなんじゃないかと思いたい。ま、ぶっちゃけ「たまには夢を見させてくれよ」という話なんですけど(笑)。

 なんだかまぁ取り留めもない話になりましたが、一度言ってみたかった話として。