さて、TFムービー2の小説版を読んでみた。
案の定、土日の外出の移動時間で粗方読み終えるくらいの内容の無いスカスカっぷりでしたが。正直な話、読みながら段々馬鹿馬鹿しくなってきたくらい(苦笑)。所詮、映画版のプロットそのままに描写をちょろちょろ変えた程度で何が良くなる筈もなく、それだけ元からしょうもない話だというのはある意味自明な訳ですが、映画視聴前に頑張って掛けた自己暗示が解けてしまうとこれだけ腹立たしい出来なのだと、改めて思い知る羽目に(苦笑)。
そもそもあんな映画(脚本)のノベライズに手を出す時点で大馬鹿者だと言われてもしょうがないんだけど、まぁ一ファンとしては映画で不足していた部分を補いたいという心情はある訳で、それが丁度「TFの台詞の少なさ」だったものだから、文字ベースの小説版なら水増しがてら強化されていないかとついつい期待してしまう訳ですよ。更に具合の悪い事に、前作の時は前日譚の方がそこをそれなりに補填できる出来映えではあったんだけど、そう言えばもう一冊のノベライズ版の方は普通にどうでもいい出来だったのをすっかり忘れていたと。結局、今回のこれも同じく「どうでもいい」出来でした(苦笑)。所詮はノベライズ。
勿論、大筋の展開は全く同じでも細部の描写は違っている訳だけど、結局そこも「どっちもどっち」の次元でしかなかったのがまた痛いところ。むしろ映画版では軽く流していた部分をわざわざ細かく書き連ねられても却って興醒めだろうという部分すらあったほど。その割にどうにかして欲しいと思っていたシーンにはテコ入れが一切無かったのも不満増大の一部。中盤でオプティマスが敗れるシーンは、あの大本命の戦いに一人で臨むというシーン展開に一切の説得力が無いからなぁ。一応は二部隊に分かれていたとはいえ、二体とその他大勢という配分だわ、連れのバンブルはディセップには全く価値のない脇役を待避させて居なくなるわで、私のいい考えどころの騒ぎじゃない無能な采配っぷり。そんな風に死ぬべくして死なれたところで正直ちょっとねぇ、とは当時から既に妥協していた部分。文字だけで済むのだからせめて別働隊の妨害の激しさでも何でも描写して土台を固めて欲しかったもの。
代わりに補強されているシーンと言えば、サイドウェイズの戦闘がもう少ししっかりしていてアーシーの合体シーンもあったり、ランサックが唐突に出てきてあっさり踏み殺されるとか、前者はまだ良かったけど後者はポカーンのレベルで蛇足も甚だしかった。まぁこれら全て、映画では諸々調整されて無くなった結果であって、小説版は変更前のプロット段階のものをただ起こしただけ、ということなのかもしれないけどね。結局そんな話しか出てこないのが辛いところ。
まぁ不味い所ばかり書いてもあれなので最後に全く違うところを一つ。映画版ではただの中間管理職に身を落としていたメガトロン(様を付ける程の威厳は奴にはないなぁ)が、小説版ではフォールンとは一種の契約関係に収まっていて、その裏切りを知るや堂々と見捨てて去るという、少しは大帝らしい立ち回りになっていたのが救い。旗艦ネメシスにて再起を目論むラストも大帝の威厳回復といった風で、これこそ映画のエンドロールの挿入シーンにして欲しかったくらい。まぁ強いて言うなれば、三作目はユニクロン戦争だと信じて疑わないファン的には、次もメガトロンは何処まで活躍できるのかなって話になっちゃうんですがね(笑)。どうなりますか。
# あと一点、訳者がファンなんだろうけど、中途半端にG1時代の名称を当て直してそれが統一されていなかったりするので、それを知らない人にはいい迷惑だろうと思う。映画版は原語名そのままで行くと既にコンセンサスが取れていると思ったのだけれどね。