さて、すっかり延び延びになってしまった。
「トランスフォーマー ダークサイドムーン(Dark of the Moon)」、小説版でおさらいしつつ吹替え版鑑賞も終えたので、ここいらで感想まとめ。
勿論、100%ネタバレ要注意で。念のため。
小説版で一通り補完出来たからこそ言うのだけど、今回は話そのものは思った以上に良かった。
というかはっきり言って長いよこれ(笑)(つまり尺の調整も出来てない脚本ってことではあるのだけどさ)。それをバッサバッサと削ぎ落としてアクション仕立てにした映画版はいつものマイケル・ベイ映画ということになってしまうのだけれど。しかし時間の制約なしに一通りのプロットと描写を押さえられている小説版で話を見返すと、今回は本当にTF中心のお話作りが出来ていたなと感じる。
荒廃したサイバートロン本星の再興というTFの種族全体に関わる問題を軸に、Autobot先代リーダーの離反、人類をも利用したDecepticonの謀略等、TFが主体となった物語展開が続く。そういった Autobot / Decepticon というTF間の抗争が展開される中で、人類は人類なりの行動(ここを実写映画らしく沢山描きつつ)でAutobotと協力して敵側の作戦を阻止しつつ、TFはTFでリーダー同士の決着にて一大戦争を終結させる。
最後にセンチネルの頭を撃ち抜いたオプティマスは、毎度の冷酷司令官と言ったら身も蓋もないけれど、今回はあの銃を投げ捨てた後の得も言われぬ表情に彼の心情を読み取りたくなるというものですよ。「お前は重大な決断が出来ない」とかつての師匠に言われた現司令官の最後の決断、というものでしょう。
要するに、今回はようやっとTFがキャラクターとして扱われたな、と思うのです。
これまではどうしてもアクション担当=戦闘要員としての扱いが専らで、TFの台詞は物語を進める為のもの程度にしか感じられなかったけれど、今回は物語に直接関係無くとも個々人が好き勝手に喋る、本来の一生命体としてのTFの在り方があった。
映画版はそれでも尺の都合上簡略化されてるシーンは一杯あるけど、小説版ではじっくりたっぷりTFが喋ってくれる。そして更にシーンによっては「TFの視点で話が語られる」ことが多々ある。紛れもなく一登場人物としての扱い。映画版ではちょっと期待外れだったショックウェーブも、小説版では冷酷無比な殺戮マシーンの行動理念がきちんと描かれている。いやぁホント小説版作者グッジョブというやつですよ。映画の脚本同様、小説版も前二作とは執筆者が変わっていてそれのお陰なのか何なのか。
そんな訳で、今回は小説版で良い感じに補完出来たのであまりチマチマ言うことも無いかと思いますが、ちょっと触れておきたいなという点を幾つか。
・大事な時に居ない鬼神オプティマス
数も居ないし身体も小さいAutobotの中で、唯一別格級の戦闘力を見せるオプティマス司令。プライムはやはり格が違うということなのか。
そんな彼に殆どの戦力を依存していると言わざるを得ないAutobot勢。しかし今回もまた「オプティマス何処で何やってんの?」と思うようなピンチシーンが幾つか発生している。というかピンチ作る為にわざとやってるよね?ということなんですが(笑)。
ただ今回はその不在が故に部下が何人も殺されているので、正直辛いというか腑に落ちないものを感じてしまう。っていうかワイヤーに絡まって宙ぶらりんという情けない格好で部下三人も使って助けて貰っている間に、別働隊四人は敵に降伏して処刑されてるって、、、どういう脚本だよと。第一、主人公をビル上の落下から救ったバンブルが、次のシーンでは既に捕まっていて処刑寸前、ってどういう超展開ですか。
勿論、小説版では度々の不在時の別行動もきちんと描いているし、先のワイヤー宙ぶらりんは残念ながら同じだったものの(苦笑)、別働隊の動きはもう少し無理なく繋げてある。まぁ削って継ぎ接ぎにした結果がベイ映画だと。これに限らず、1カット仕込めば説明完了、みたいな荒っぽい編集ばっかりだからなぁ。
この辺、G1アニメも超展開で有名だった訳で、今見たらびっくり大笑いなのかなぁ。まぁ強いて言えば政宗ナレーションの状況説明が非常に秀逸だった訳で、つまり映画版も「ちゃーららーらー」で政宗が「サムと別れ先行したバンブルだったが~~」とか説明してくれれば納得しちゃうのかもしれない(笑)。
・映画版と小説版で異なるラストのメガトロン
映画版では、センチネルにDecepticonのトップの座を奪われるぞとカーリーに煽られた結果、後ろから不意打ち(慌ただしく乱射というのが格好悪さに拍車を掛ける、、)で、リーダー決戦だと見得を切った直後にオプティマスに秒殺を喰らう、というまるでスタースクリームのような小者で終わってしまったメガトロン。
一方小説版では、圧倒的力量を誇るセンチネルを相手にオプティマスとメガトロンで共闘、隙を突いてセンチネルに勝利した後に「休戦」を提示するという、何とも実に意外な展開。あの暴君メガトロンがですよ。
しかしこれもよくよく読むと度々伏線は張られていて、二度の戦いに敗れ落ちぶれたメガトロンというよりも、最早戦いに疲れ果てた老兵メガトロンというのが今回の彼のキャラクターだった。成る程、たまにはこういうのも面白い。
ここでG1加藤精三ボイスで台詞を読み返すとあの爺さん声が本当にマッチしてですね(笑)。G1メガトロンも暴君というよりは、無能な部下に頭を抱えつつもあれこれ知略を巡らす老兵っぽい印象だったからなぁ。そのあと溶岩風呂で若返ってかつての勢いを取り戻したのがガルバトロンだと(勝手に)思うようになっていたりして(笑)。
まぁ冗談はともかく、そもそも今回の歴史的長期に渡る作戦なんて過去二作の展開と明らかに繋がらないし(サウンドウェーブがあんな昔から居たなら人類はとっくに負けていた!(笑))、戦いに疲れたという設定自体、ポッ出だと言えばそうなのがキャラ作りとしては弱いと言わざるを得ないけどね。前作小説版ではラストにやる気満々だったというのに。三部作といってもそういう所まで織り込んだものじゃあないからしょうがないと考えるしかない。
或いは、前日譚とかでそれなりに疲れていった課程が描かれていたりするかもなぁ。そういやタンクローリー化したのも逃走の果てにとかなんだっけ?
あ、あとこれだけはどうしても突っ込みたい(笑)。
・スペースブリッジによるサイバートロン星の輸送
星レベルの転送ってソウヤーの「スタープレックス」かよ!という個人的印象はさておき(笑)、通り掛けたところで一旦転送がストップして一部だけ残るんですが、それって惑星輪切りにしちゃったってことじゃないの?(笑) しかも再開した後に今度は完全に装置が停止した所為なのか逆流が起こってその輪切り部分がブラックホールのように飲み込まれる演出、って何これもう完全にサイバートロン星終了ってことですか?(笑うな)
勿論、小説版では無理なく「ブリッジ(ゲート)の向こうにサイバートロン星が見えた」という所までで終わっている訳ですが。手の届き掛けた故郷が再び闇に消える、メガトロンの悲痛な叫び、オプティマスの複雑な思い。良いシーン。
そんなこんなで、まぁ勿論3時間弱の映画としては二度も見れば飽きる内容だとは言っておきますが、最後の最後にやっとTFをTFとして描いてくれた、それだけでもファンとしては満足ですよ。
またいつか今度は完成度そのものが高い映画作品になったら嬉しいよね、ということで。
最初は映画化を機に(シリーズ自体が)盛り返してくれただけでも嬉しかったものですが。希望は新たな希望を呼ぶ、みたいな感じですか(笑)。