さて、昼休みにRSSを眺めていたらこんな記事が目に入りまして。>人から「悲しみ」が失われている
「それって『(今まで)悲しみのメカニズムだと思われていたものが違った』というだけの話じゃないの?教えて偉い人」、という素人目線の突っ込みは感じつつも、擬態感情、捏造感情と言った考え方はなかなかに面白く、最後まで興味深く読み進めてしまった。
んが、最後になって「あ、やられた!」と(笑)。
仮説という組立て方がまたうまいこと自己解釈の余地を残してくれて、見事に良いように受け止めてしまいましたよ。
いやー、エイプリルフールってのはこうじゃなくちゃね。
「実際にあり得そうで実は嘘でした」というのが本来的な冗談の在り方。自然の中に溶け込むからこそ気付いた時の効果も倍増する。「息を吐くように嘘をつく」という言葉がありますが、自分は誠実さ(と謙虚さ)の徳を第一義に生きる人間(希望)なのでどうしても本質的に踏み込めない一線というものを感じてしまい、故に嘘つき人種には畏敬の念を通り越した憧憬の念すらあるのかもしれない。
などと言うだけ言ってみるテスト。
ネタ関連は最初にgoogleのマジックハンド動画で笑わせて貰って概ね満足したけど、あとは旬なネタといえばこちらですか。限定公開とか言ってる(本家参照)ので、その内見られなくなるかも分かりませんが。
途中の「3万回に1回のポロリバグ(を仕込んでおけばよかった)」がかなり受けた。
実際に(実利的な部分で)そんなもんやられたら「(DQ3)幸せの靴すら手に入れられなかった」ランダム恐怖症には傍迷惑な話でしかありませんが、何かね、もっとこう「誰も困らないどうでもいいところで偶発的なアクシデントを仕込んでやりたい」という思いは昔からちょっとあったりしまして。
エイプリルフールもそうだけど「誰も(大して)困らないレベルの悪戯」ってのは良いなと思うのですよ。