さてはて、年納めゲーム編。
えーと、今年やったゲームは、えーっと、ドリクラ。うん、これだけですね。
まぁ誕生日にPS3ごとGogo.を買うという悲劇が起こらなかっただけ良かったのではないでしょうか(ぉ)。
そもそもがドリクラ自体、ここでいうゲームの枠で語るつもりもなく。
強いて言うなれば友人宅でプレイした分をカウントすれば「ラリスポ2」が今年唯一無二の思い出にして回顧枠。
同じ頃、箱ONEが国内発売された際に箱ゲー振り返りの企画構想もあったんですが、そこでメインディッシュを先に平らげてそのまま終焉を迎えてしまった感。
それと、今月に入って「暇ならやってみてよ」と立て続けにゲームを紹介されたりsteamでギフトされたりしたものの、「もう今年はドリクラしかやらなかったことになってるしなー」などと口走ったのは内緒でも何でもありません。(割り込ませる時間もないしね、ってのがマジレスとしてもありますが)
まぁ正直に言えば、自分自身の情熱というか興味ゲージが下降している点も否めないのでしょうが。ただやっぱり久方ぶりに触れたラリスポ2(Rally Sport Challenge 2)ではプレイ一番過去の血がたぎって、熱中のあまり大画面プロジェクタを凝視しすぎて人生初の3Dゲーム酔い(としか思えないもの)を体験してしまう程度には、やっぱり俺はこういうゲームは今でも大好きなんだなと思わされた訳で。
しかしその場でも話題に出たし、振り返り企画のネタとしても温めていた話なんだけど、ポリゴンハードの過渡期ゆえに企画・発売できたものというのもあるんだろうなと。
「やってみたい」が先行したからこそ尖った需要にも応えられた時代であって、その先コストと売り上げが計算できるようになってしまった後は、悲しいかな市場原理に抗う冒険の話にしかならなくなると。まぁゲームに限った話ではないだろうけれど、コスト計算が細分化された分野にはよくある話。
だからそういう需要の中にいた人間からすれば、「求めるべくもない」という諦めの感は少なからず発生してしまうよねと。
この点、コアな需要に応える製作形態としてはクラウドファウンディングなんかも小耳に挟むようにはなってきたけれど。それでも相当でっかい需要くらいだし、それはそれで人(期待)が集まりすぎて収集つくの、みたいな例しかまだ見ていないので何とも。
それと最後に苦言を持ってくるのもどうかとは思うけど、やっぱり自身の興味ゲージをガクンと引き下げてくれる要因として、昨今の国内ゲーム市場のあまりある惨状がある。
「重課金兵」みたいな酷い悪ノリも一時のネタくらいに思っていた内は良かったけれど、「パチンコ需要を食い始めた」という話を聞くようになってから、ああ成る程なと、納得と共にこれまた一段と諦めの観念が湧き出てきまして。
21世紀のこの期に及んでまで駆逐できないしする気もない建前だけの不健全な金の流れをそのまま引き継ぐというのだから、根が深すぎて最早これはどうにもならないし、やっぱりする気もないだろうと。
「金を出す気がある奴に金を出させる」のは需要と供給の原理かもしれませんが、あまりにも度が過ぎている。「こんなことができるのは日本だけ」と言われているように、ルールという縛りから逃れた人間の浅ましさを最大限に発揮した市場形態なんぞと誰が付き合うかと。(友人に課金兵がいないのでめっちゃ口悪くも罵れますが、本音としてやはり思いますよと。せめてバカにされる覚悟でやれよと。)
もちろんゲームとしてもよく出来ている物こそが成功している訳で、それ相応の良さがある点は評価すべきでしょうが。しかし、かつては数千円の買い切り(これもROMカートリッジの高騰が背景にあるにはあるし)で2,30時間も集中すれば一通りの思い出は享受できた時代の人間からすれば、何万何十万円・何百何千時間と際限なく吸われ続ける遊びには「そこまで費やす対価を感じない」のが正直なところ。それもこれも「今の市場が追い求めた結果」と相成れば、寂しくはあるけれど身を引くのが道理なんだろうなとも思わされる話。
まぁすっぱり切り捨てるつもりも別にないんですが。今は目を背けたい、といったところでしょうか。
何でこんな話になったかというのも、年末忘年会もお疲れモードすぎて満足に話す気力すらなかった、その言い訳代わりに。当人等が見るかは別にして(駄目だろそれ)。