ドリクラ実況

 さて、
 「やはり世の中、悪い方に考えないと駄目だね」
 と、100%語弊に充ち満ちた言葉が脳裏をよぎった、というネタを内輪で使い損ねたのでここで(笑)。
 正確には「最悪を想定しておかないと駄目だなぁ」といったところで。いや「此処まで想定しないといかんの?」とも思いますけど。仕事絡みなので具体的な話は避けますが、立て続けに悪いカードを引き当てまくって最早笑うしかなくなったというか。
 昔から「よりにもよって」の嬉しくも何ともない方面のレアイベントを当てるスキルに長けている自覚はありましたが、本当こんなもんこんな時に引くなよと。

 強いて言うなれば、普段ガチャゲーとかを全否定してるので、そこで使われるべき運が使われないままこういう所に回り回って来ているのだろうか。そうかー、ガチャってのは害の無いところで悪い運を使い果たす為のいい生活の知恵だったのかと(白目)。
 まぁうちらは若い頃、ビックリマンとかカードダス(後者はあんまやってないけど)とかの射幸心を煽ったくじ引き商売の走りの時代に生きた訳ですが、あれなんて行政指導を受けてヘッドの混入率を上げるとかまだ可愛いもんだったけれども、でもって部活帰りのお疲れ不機嫌モードの兄貴に「○○出た」とか空気読めなさすぎのクソガキ発言かまして、「小遣い足りないとか言ってるくせに無駄金使ってるんじゃねえ」等とド正論で怒られたトラウマというか人生訓が呼び起こされましたよ。
 いやぁ、教育って重要ですよね。

 などとうまい具合に話が逸れてきたところで、

 ふとしたところで、昔懐かし「なんぞこれ」の永井先生が復帰してドリクラの実況プレイを始めていた事に気付いたので、ついつい片っ端から目を通して折角の休日をドブに捨てた私が通りますよと(笑)。
(注:ustreamからの勝手転載なのできちんと揃ったリストはないです。万一全部見たい人はニコ動、youtube双方で「ドリームクラブ 永井先生」で検索して掻き集めましょう。)

 いやはや相変わらず凄いね、この人は。
 アイマスがやよいだったので最初に雪を選ぶのは想像通りだったけれどお気には召さず。結局はそこ(何処?)かよということで「ボク」を否定しながらもナオに落ち着くとは思わなかった。まぁ別に永井先生の趣味を把握している訳ではないですが。
 途中までは各キャラを囓って回っていたので、そのまま全キャラを触って欲しかった気もするけれど、ことごとくが辛辣なコメントを吐き捨てて終わる辺りが実にフリーダム。いや私自身も当時「テンプレですね、うん」と軽くあしらった節があるのは否定しませんが、それ以上に遠慮も何もあったものじゃない。多分アイリもボロクソに言われたんだろうなぁと思うと、アンロック対象で伏せられていた(&初期メンツに移されたZERO版じゃなかった)のは幸いだったと見るべきか(笑)。

 しかし最初の内は面白おかしく進めていて、ゲーム内資金稼ぎをギャンブルに頼るあまり大負けして資金マイナスで折角のコスプレデーを逃す、という辺りまでは面白かったのだけれども、そこからは意固地になってひたすらギャンブルで負けを増やし続ける泥沼プレイ(マイナスでギャンブル出来るんだ?ってのはさておき)。それで一年間のゲーム内時間のうち、最初の三ヶ月以降は全てギャンブルの借金地獄(ドリクラには行けず)の繰り返し。「ここで巻き返すんだよ」と、いわゆるところの「トータルではプラスだから」の論理は、常にドリクラ通いという支出があることが前提の中では支出以上の収入を確保しなければいけないのに、そこでプラマイ0かせいぜい+1の次元に居ることに何の意味があろうか、そんな理屈すら馬の耳に念仏でひたすら最後まで。ここにリアルパチン○スの神髄を見せ付けられたというか。いやもうこれ何のゲーム?(苦笑)。
 因みに正確に言えば最後の12月にギリギリでプラスに戻して「サンタコスだけは見る」という一見して良い展開を期待させながらも、いざ入店したもののコスプレデーと言われなかったが為に混乱し、(ただ週が違っただけという指摘をする視聴者も既に残っておらず)、どういう訳かガチャ(課金じゃなくてただのゲーム内小物をランダムで引き当てるオマケ)でコスプレ権を手に入れる?という手酷い勘違いを起こして、残金も顧みずにコインを投入した挙げ句に資金が枯れて強制退店となる始末。このオチは実に永井先生らしい気もするけれど。
 ただまぁ昨今の課金ガチャの所為で懐疑的になったのは不幸だったけれども、残金も計算せずにあっさりショートさせる流れは最早芸術を通り越した何かというか。「これは本物だ」と思わざるを得なかった(笑)。

 それはそれとして、
 あまりにも常軌を逸した永井先生のプレイスタイルを通して、最早慣れっこでなあなあにしていたけれども、自分も当時感じたドリクラのゲーム的システム的な不備・甘さといったものを改めて感じさせられたようにも思う。
 楽しむべきところを自ら楽しむ度量を求められるというか、大抵の要素に理解力ないしは包容力とでも言ったものが求められる、いわゆるプレイヤー側のチューニングを要するゲーム。ギャルゲーという時点で相当の好き者が(好意を持って)手を出すだけの世界だとはいえ、それに甘えてしまっては、少しでもそこから外れた人間からは罵声しか浴びせられず、その様は(必要以上に)不憫に思う。

 見ていて何より残念に思ったのは、「結局のところ強い酒を選んで最速で酔わせてイベント会話を踏めばいいだけのゲーム」という点に辿り着くかどうかという話。
 もちろん永井先生がそんな高度なゲーム攻略脳を持ち合わせている筈もなく、自らのキャバクラ経験を活かして女の子の気分を汲んだフリをしたりと、あれやこれやともっともらしく解説しながらプレイを進める訳ですが。いやぁ、自分も「無理に強い酒を飲ませるのは悪いだろうなー」等と探りを入れながらプレイしていたのを思い出して。ぶっちゃけ「そういうの全部意味ないですから」と(苦笑)。
 所詮ゲームなので何かしら最大効率のプレイってのは存在してしまうものですが、そこの定義があまりにも適当すぎるのは考えもの。例えば主軸となる「酒を飲んで酔う(ことでイベントが進められる)」部分だけでも、飲んで欲しいのに飲んでくれないとか、それを上手く酔いに誘導していく方法だとか、ある程度の揺らぎや駆け引きみたいなゲーム性を盛り込んでも良かったのではないかな等。
 もちろん、その他全ての要素をフル活用してバナナやフランクフルトのミニゲームが必須になるなどとされると途端にウザいゲームに成り上がってしまうので、そういうのはあくまで好感度アップの一手段程度の(今の)形で十分(「アイリちゃんにこういう事をさせるのは違うんと思うですよね~」のピュア発言には完全同意せざるを得ない(ぉ))。ただそれで何もかもを「好きに楽しんで頂く」ってのは、それが同時に「無意味」と化す現実も踏まえた上でバランスを取るべきだなと。
 当時も「完全知識先行のフラグゲーを顧みるに、下手にコントロールが必要な要素を求めないくらいの緩いゲームか」と精一杯好意的な解釈は入れてみたけれども、やはりそれでも何かしらのコントロール要素が無いと本当に無駄と化してしまう。ゲームなんてものはそもそもが無意味、といった話ではなく、無為に遊ぶ中でのせめてものメリハリはつけないといけないよなと。
 この点、唯一の縛りと言える失敗の許されないオートセーブなんてのはむしろ的外れの仕様もいいところで。自由セーブ式だったら、せめて永井先生の悲劇は回避されたのだろうなと思わざるを得ない(笑)。

 まぁこの辺どう書いたところで、「たかがドリクラに何マジになってんの?」と思われそうですが。別にドリクラがどうだというよりも、もっと総体的に捉えて考えてみたい話。
 むしろ言ってしまえば、商品というのは出た時点で既にfixしたオワコン。たまに続編での大幅パワーアップやリニューアルといったこともあるにはあるけれど、大抵は初期の印象に縛られて無難な改変を続ける以上は、それについて語ったところで閉じた顧客内の話でしかない。
 でなくて、ドリクラという実例を肴にして、こういう問題は今後なくして行きたいよね、行ければいいよねという話。
 この辺、特にゲーム性というのは無定形のものなのでノウハウが後世に引き継がれていくという話に弱いからね。プログラムなんかも同じ話でオレ正義論が強すぎて、最近絵の勉強を始めてみたら基本的な技法・筋道といったものが様々な形で残されて伝わっている様に羨ましくも感じた世界。

 などと書いてみたところで、最初に「ドリクラ」と発した時点でそっ閉じされてまともに読まれることも聞かれることも無い罠。駄目じゃねえかと(ぉ)。
 ま、そもそもが業界人でも何でもありませんし。
 ただ何かの折りにこういった考えが余所に活きることがあれば面白いな、ということで。